道ばたに仰ぐ

ブログのタイトルを決めました。変えた、ではなくて決めた、です。今までは(仮)とお茶を濁していたけど、ようやく、『道ばたに仰ぐ』に。

高校の頃からか、物事を見るときに、自分の視点をどこに置くべきかを、漠然と僕は考えている気がします。どの立場に立つか、ということかもしれません。(研究や事務ではその限りではないけど)日常では見ることと自分の価値観とは切っても切り離せないもので、どこかに据え付けられていない眼では、世間の常識というものに流された見方をしてしまいがちだと思います。それは僕にとっては怖いことで、人が咀嚼しないまま世間の常識を正しき剣として振りかざすのを見て、苦々しく感じてきました。そうしてその剣は虚空から現れるようで、なかなかにとらえどころがないのです。

自分と相手(人、物、事象…)、そして世間、国、会社、学校、フォッサマグナ、ミニスカート。人や組織や社会や、色々なものの関係性を把握しておくというのが、考えるためには重要だと思います。山田ズーニーさんという方の著書で、物事を考えるには関係性を意識することが大事だ、ということ読んで、そういうことかと思いました。自分と世間を一緒くたにしちゃったら、自分では何も考えていないということなんです。それから、会社でもなんでも、自分が置かれている環境と自分との距離をうまくとらないままに、他人に接しようとすると、なにやら偏った思考をしてしまいます。そうなりがちな人は多いように思います。(僕の中もそんな部分がないかないかと探して、また会社に入って生まれはしないかと、怖い)

さて、『仰ぐ』ってあんまり身近じゃないです。本やテレビニュースとか、あと会社に入れば「上司の判断を仰ぎます」って言うのかもしれないけど、学生の時分には。
辞書を引くと、この言葉は『見上げる』、『尊敬する』、『願う』という多義語で、それが僕がこうありたい視点をうまく表せるような気がしたのです。

いろいろな、いやもうすべての人や物事を、姿勢を低くして、時にはぺたりと地面に座ったり、見上げ尊敬して、願いを持つ。そんな風にしたいなあと。そうしたら、見えてくるものがたくさんあるのではないか、と思っています。でも、すべての、なんてのはちょっとうまくないかもしれません。お前は人の多様性をわかっちゃあいない、人を真正面から見ようとするなら、その個性に目を向けるなら、すべての人をひっくるめることを軽々しく口にできるわけはない! なんて言われたら、ちょっとうまく反論は……できそうにないです。まあ、そもそも嫌いな人だってたくさんいるし、なんだこいつと思うこともあるし、そんなだから、願望が多分に入った言葉です、仰ぐ。

『道ばた』は道に近い部分のことです。道は人や車が通るためのもので、道の脇にはビルや家、畑、林、野原なんかがあります。なんか、道ばたは、流れと停滞、人と自然、外と中、そういったものの境界を隠喩として表しているように感じます。近づきすぎず、離れすぎずそんな位置です。寂しい場所だけど、色々なものが眼に入ります。

道ばたに座りながら、行き交う人を見上げて、敬って、時にはおしゃべりをしたり、隣の草花と友達に、まぶしい空に思いをはせる。そんな願いを思って、タイトルを考えてみました。普段の生活、そしてブログをそんな視点から書くものにしよう。

人も物もなにからなにまでを見るに、それを目指すというよりは、そこから始めてみようと。