You can stop anywhere, anytime.

自分が子供だと自然に言えた頃、つまり、耳を澄ませば微か感じられた、少しずつ近づいてくる大人の足音が、自分の足下から生まれているとはまだ気付かずに、教室や家、または、ファーストフードや本屋のマンガコーナー、または、教科書や新聞のテレビ欄、そんな手の届くものだけに触れ、地平線を隠すビルを霞の向こうに見ていた頃、日々を送るのに必要なものは、太陽の熱にうかれて笑い、ボールが転がれば競い合って追いかける、素直な純粋さだけだった。社会に存在する汚さは自分たちの周りには無縁だった。大学生となり子供だと言うのにはにかむようになると、次第に、漠然と感じていた大人達への嫌悪感は、人の形をとり実際に僕の前に現れるようになり、自分はそうはなりたくないと強く願うようになった。しかし、僕らの身長が伸びなくなり、若者特有の理由のない自信や勢いを失うようになってくると、嫌悪していた大人の濁った部分と、自分や周りにいる同年代の人達の言動が急速に繋がりだした。僕が疎んでいたのは自分の利益のためであったり、傷つかないために作り出された、世間の常識や多数決に基づく、まったくもって正しい考えだった。僕らはそういった正しさを、保守的になっていくことで身に着けるようになったのだ。そして若者から若者でなくなるまでの変化を不連続に捉えていた僕の目は、もうその隙間を見ることはできなかった。しかし、だからといって、否定してきた汚さを肯定することはできず、それを、汚さ、と表現してしまうような、僕の幼い部分はすぐに消えることはなかった。そんなわけで、僕は僕自身に、そして多くの物事に対して常に怯えを抱くようになった。なんとか見いだした細く淡く発光する道の上を、おそるおそる進むように生きてきた。道のすぐそばにあるものにさえ顔を歪ませながら。

その時に着ていた服も、空気の感触も覚えていない。家のすぐ近く、夜だった。僕はなぜだったか道路の縁石に腰をかけ頭を抱えていた。周りに見えるアスファルトや道の向かいにある家や畑、さらに先にあるコンクリート製のアパートや屋根の上の夜空、それらはのっぺりとしていて奥行きがなく一つの色で塗られていた。小学生が水彩絵の具で描いたような光景だった。目の前を走る車の圧力が僕の体を震わせた。何台も通り過ぎ、轟音や風を巻き上げた。僕は泣いていただろうか。しばらくすると、また車が右から走ってくるのを感じた。そのまま通り過ぎると思ったが、車は僕のすぐ側になると急減速し、車体をきしませて、少し前につんのめったようなってから止まった。ドアが勢いよく開き、「大丈夫ですか?」と声を上げながら、運転席から若い女性が飛び出してきた。黒い軽自動車だった。女性の顔や声があまりに切羽詰まっていて僕は驚いた。彼女は僕の前まで来ると、すでに中腰になっていた僕の顔をのぞき込もうとしたので、慌てて、大丈夫です、と口を平たく伸ばしながら返事をした。女性は動きを止め、少し息を荒くしながら僕を見ていた。丸顔で髪は茶色のショートだった。なぜか、彼女には小さな子供がいると思った。お互いの沈黙の後、僕は申し訳なさに身を縮め、もう一度、「本当に大丈夫です。ありがとうございます」と言った。僕が頭を下げてから歩き出すと、彼女も少し遅れて運転席に戻っていった。車に乗り込む前にボンネット越しにこちらを見た。瞳に映った月が揺れている。ドアが閉まり、車が走り出すのを待ってから立ち止まり、その方向を眺めた。自分が悩んでいたことなど、もうどうでもよくなっていた。ただ彼女の美しさに僕は心を震わせていた。本当に優しい人だと思った。切羽詰まった様子から、もしかして、最近つらい出来事があったのかもしれない、とも思った。そしてこれからも。こんなところでブレーキを踏むようでは、弱い人を見て見過ごせないようでは、彼女の人生は苦難とともにある。人の痛みを見てしまうと自分のことは後回しにしてなんとかその痛みに尽くそうとしてしまう。周りの人はそんなのお構いなしで気楽に振る舞う。彼女の痛みに尽くす人はいるだろうか。どうか彼女に幸いを。どうか、強く。

ある日、不毛地帯というテレビドラマを見ていると、なにやら若い軍人が上官に向かって、「あなたは自分の立場を守ることしか考えていない!」と声を荒げていた。よくあるシチュエーションだ。いつもは、自分の事ばっかり考えたら駄目だよね、と思うところだった。しかし、この上官が家に帰ったときに廊下の角から「お帰り−」と言う一人娘や、台所で料理を作る奥さんの姿が急に脳裏に浮かんだ。上官の気持が、いわゆる「わかるわかる」となった。彼には守りたいものがあって、それは本当に愛おしいものなんだ。そうして、若い軍人の方こそ、国とか、革命とか、そんな事ばかり考えて、身近な人を見過ごしているのではないかとも思った。二人とも、優しいんだ。ただ、その優しさの対象は、組織と家族、または、国と個人、そんな相成れないものだったんだ。いや、相成れない訳ではない。お互いを理解し合えばいい。そうすれば少しはうまくいく気がする。少しだけ、自分の歩みを止めて、相手を見つめてみる。

大学の研究室の帰り、すっかり遅くなってしまって、終電に乗り込んだ。寒さのせいか車内は広く感じる。僕は空いていた席に座って一息ついた。向かいに座った太り気味の中年男性は口を半開きにしながら眠っている。眠った男性に定期的に寄りかかられている座席端のスーツの女性は嫌そうに顔をしかめながら肩で男を押し上げ、女性の腕がお尻にあたった手すりに寄りかかる学生が振り向き、その拍子に足下の鞄が倒れ、舞い上がる塵と共に床に張り付いていたハエが飛び立ち向かいの窓の前を右から左へと飛び去っていった。ふと気がつくと、降りるべき駅はすでに過ぎていた。僕は立ち上がることもせずにどうしようかと考えていた。この電車はどこへ向かっているのか。途中の駅で降りても戻る電車はない。このまま乗っていていいのだろうか。終点駅まで行けば泊まる場所があったりなんとかなるのだろうか。そもそもどこへ行けばよかったのか。この電車に乗ったのは正しかったのか。わからない。ただ座っているのが楽だ。どうにかなる。きっと。進み続けていれば。
止まらなくては、まずは止まらなくては。誰かの前で。力一杯ブレーキを踏んで、ありったけのエネルギーを込めて止まらなくては。正しい場所に行くために。体中の骨がきしんでも、どんな追い風に押されていようとも。通り過ぎないために。まずは止まれなくては、いつでも、どこでも。進むために。