平和、願い。つまり、まだノータイトル。

電車に乗っているときに天井に張り付いたスピーカーから流れる、駅への到着や諸々の注意を促す車掌さんのアナウンス、どうにも過剰に音が大きい気がするが、小さな音では一部の耳の遠い人は聞こえないのであって、公共、と冠のついた交通機関としてはそのような人に合わせるほかはない。それでも山手線に乗ったときなどは駅の間隔が狭く、しかもアナウンスは日本語と英語でやるので、電話のコール音のように流れたり流れなかったりが入れ替わり立ち替わり頻繁に交互、このうえ中国人が幅をきかせるようになり多言語化が進み、スピーカーは3カ国語を声だかに叫び続け電車はぐるぐる、といった次第を想像すると戦々恐々で、イヤホンからの音漏れや携帯電話の話し声など目でも耳でもない。

車掌さんからは、座席は詰めて座る、ということを実によくお願いされる。僕が使う西武線の車両の座席は11人掛けと7人掛けの座席があるのだが、座席のクッションには座る場所の目印がない場合も多く、はじめに両端に人が座り、次に真ん中に3人目が座るというよくある座席の埋まり方をした場合に、真ん中の人の座る位置が少しずれるとうまく11人や7人が座れなくなる。どこかに0.5人分くらいの隙間が空いてしまうのだ。これは座席に規定人数をうまく座らせるシステムが備わっていれば問題はない。あの、お尻が収まるように窪んでいる座席、あれならわざざわざ出っ張った部分を尻に挟む人はほとんどおらず、11人掛けなら11人うまく座れる。マナーよりまずはシステムだ。男子トイレで小便器からはみ出さずに小便をしろ、というのも同じだ。マナーが悪いのではなく、システムがない。

という前振りをした後で、本題を書こうとしたのだが、そろそろ隣の小学校の鶏がコケコッコーと、本当にコケコッコーと鳴き出し、もう朝だゼ、お前は朝から寝るずれた野郎サ、と僕の胸をわずかばかり重くするのでいち早く布団に入りたい。だから、最後に投げやりに、だけど決して適当ではないことを書く。

11人掛けの座席の前に11人よりたくさん人がいる。誰も立って疲れたり、汚い床に座ったりすることなく、皆が困らないようにすることはできるだろうか。それを僕は高校生の頃電車に乗りながら考えて、優しさなんて本当に難しいことは何も解決しないのだと知った。そして隣の車両から、窓から、人のあらゆる問題をまるでなかったかのように消し去る、そんな究極のエンターテイナーの登場を待った。