You can stop anywhere, anytime.

自分が子供だと自然に言えた頃、つまり、耳を澄ませば微か感じられた、少しずつ近づいてくる大人の足音が、自分の足下から生まれているとはまだ気付かずに、教室や家、または、ファーストフードや本屋のマンガコーナー、または、教科書や新聞のテレビ欄、そんな手の届くものだけに触れ、地平線を隠すビルを霞の向こうに見ていた頃、日々を送るのに必要なものは、太陽の熱にうかれて笑い、ボールが転がれば競い合って追いかける、素直な純粋さだけだった。社会に存在する汚さは自分たちの周りには無縁だった。大学生となり子供だと言うのにはにかむようになると、次第に、漠然と感じていた大人達への嫌悪感は、人の形をとり実際に僕の前に現れるようになり、自分はそうはなりたくないと強く願うようになった。しかし、僕らの身長が伸びなくなり、若者特有の理由のない自信や勢いを失うようになってくると、嫌悪していた大人の濁った部分と、自分や周りにいる同年代の人達の言動が急速に繋がりだした。僕が疎んでいたのは自分の利益のためであったり、傷つかないために作り出された、世間の常識や多数決に基づく、まったくもって正しい考えだった。僕らはそういった正しさを、保守的になっていくことで身に着けるようになったのだ。そして若者から若者でなくなるまでの変化を不連続に捉えていた僕の目は、もうその隙間を見ることはできなかった。しかし、だからといって、否定してきた汚さを肯定することはできず、それを、汚さ、と表現してしまうような、僕の幼い部分はすぐに消えることはなかった。そんなわけで、僕は僕自身に、そして多くの物事に対して常に怯えを抱くようになった。なんとか見いだした細く淡く発光する道の上を、おそるおそる進むように生きてきた。道のすぐそばにあるものにさえ顔を歪ませながら。

その時に着ていた服も、空気の感触も覚えていない。家のすぐ近く、夜だった。僕はなぜだったか道路の縁石に腰をかけ頭を抱えていた。周りに見えるアスファルトや道の向かいにある家や畑、さらに先にあるコンクリート製のアパートや屋根の上の夜空、それらはのっぺりとしていて奥行きがなく一つの色で塗られていた。小学生が水彩絵の具で描いたような光景だった。目の前を走る車の圧力が僕の体を震わせた。何台も通り過ぎ、轟音や風を巻き上げた。僕は泣いていただろうか。しばらくすると、また車が右から走ってくるのを感じた。そのまま通り過ぎると思ったが、車は僕のすぐ側になると急減速し、車体をきしませて、少し前につんのめったようなってから止まった。ドアが勢いよく開き、「大丈夫ですか?」と声を上げながら、運転席から若い女性が飛び出してきた。黒い軽自動車だった。女性の顔や声があまりに切羽詰まっていて僕は驚いた。彼女は僕の前まで来ると、すでに中腰になっていた僕の顔をのぞき込もうとしたので、慌てて、大丈夫です、と口を平たく伸ばしながら返事をした。女性は動きを止め、少し息を荒くしながら僕を見ていた。丸顔で髪は茶色のショートだった。なぜか、彼女には小さな子供がいると思った。お互いの沈黙の後、僕は申し訳なさに身を縮め、もう一度、「本当に大丈夫です。ありがとうございます」と言った。僕が頭を下げてから歩き出すと、彼女も少し遅れて運転席に戻っていった。車に乗り込む前にボンネット越しにこちらを見た。瞳に映った月が揺れている。ドアが閉まり、車が走り出すのを待ってから立ち止まり、その方向を眺めた。自分が悩んでいたことなど、もうどうでもよくなっていた。ただ彼女の美しさに僕は心を震わせていた。本当に優しい人だと思った。切羽詰まった様子から、もしかして、最近つらい出来事があったのかもしれない、とも思った。そしてこれからも。こんなところでブレーキを踏むようでは、弱い人を見て見過ごせないようでは、彼女の人生は苦難とともにある。人の痛みを見てしまうと自分のことは後回しにしてなんとかその痛みに尽くそうとしてしまう。周りの人はそんなのお構いなしで気楽に振る舞う。彼女の痛みに尽くす人はいるだろうか。どうか彼女に幸いを。どうか、強く。

ある日、不毛地帯というテレビドラマを見ていると、なにやら若い軍人が上官に向かって、「あなたは自分の立場を守ることしか考えていない!」と声を荒げていた。よくあるシチュエーションだ。いつもは、自分の事ばっかり考えたら駄目だよね、と思うところだった。しかし、この上官が家に帰ったときに廊下の角から「お帰り−」と言う一人娘や、台所で料理を作る奥さんの姿が急に脳裏に浮かんだ。上官の気持が、いわゆる「わかるわかる」となった。彼には守りたいものがあって、それは本当に愛おしいものなんだ。そうして、若い軍人の方こそ、国とか、革命とか、そんな事ばかり考えて、身近な人を見過ごしているのではないかとも思った。二人とも、優しいんだ。ただ、その優しさの対象は、組織と家族、または、国と個人、そんな相成れないものだったんだ。いや、相成れない訳ではない。お互いを理解し合えばいい。そうすれば少しはうまくいく気がする。少しだけ、自分の歩みを止めて、相手を見つめてみる。

大学の研究室の帰り、すっかり遅くなってしまって、終電に乗り込んだ。寒さのせいか車内は広く感じる。僕は空いていた席に座って一息ついた。向かいに座った太り気味の中年男性は口を半開きにしながら眠っている。眠った男性に定期的に寄りかかられている座席端のスーツの女性は嫌そうに顔をしかめながら肩で男を押し上げ、女性の腕がお尻にあたった手すりに寄りかかる学生が振り向き、その拍子に足下の鞄が倒れ、舞い上がる塵と共に床に張り付いていたハエが飛び立ち向かいの窓の前を右から左へと飛び去っていった。ふと気がつくと、降りるべき駅はすでに過ぎていた。僕は立ち上がることもせずにどうしようかと考えていた。この電車はどこへ向かっているのか。途中の駅で降りても戻る電車はない。このまま乗っていていいのだろうか。終点駅まで行けば泊まる場所があったりなんとかなるのだろうか。そもそもどこへ行けばよかったのか。この電車に乗ったのは正しかったのか。わからない。ただ座っているのが楽だ。どうにかなる。きっと。進み続けていれば。
止まらなくては、まずは止まらなくては。誰かの前で。力一杯ブレーキを踏んで、ありったけのエネルギーを込めて止まらなくては。正しい場所に行くために。体中の骨がきしんでも、どんな追い風に押されていようとも。通り過ぎないために。まずは止まれなくては、いつでも、どこでも。進むために。

道ばたに仰ぐ

ブログのタイトルを決めました。変えた、ではなくて決めた、です。今までは(仮)とお茶を濁していたけど、ようやく、『道ばたに仰ぐ』に。

高校の頃からか、物事を見るときに、自分の視点をどこに置くべきかを、漠然と僕は考えている気がします。どの立場に立つか、ということかもしれません。(研究や事務ではその限りではないけど)日常では見ることと自分の価値観とは切っても切り離せないもので、どこかに据え付けられていない眼では、世間の常識というものに流された見方をしてしまいがちだと思います。それは僕にとっては怖いことで、人が咀嚼しないまま世間の常識を正しき剣として振りかざすのを見て、苦々しく感じてきました。そうしてその剣は虚空から現れるようで、なかなかにとらえどころがないのです。

自分と相手(人、物、事象…)、そして世間、国、会社、学校、フォッサマグナ、ミニスカート。人や組織や社会や、色々なものの関係性を把握しておくというのが、考えるためには重要だと思います。山田ズーニーさんという方の著書で、物事を考えるには関係性を意識することが大事だ、ということ読んで、そういうことかと思いました。自分と世間を一緒くたにしちゃったら、自分では何も考えていないということなんです。それから、会社でもなんでも、自分が置かれている環境と自分との距離をうまくとらないままに、他人に接しようとすると、なにやら偏った思考をしてしまいます。そうなりがちな人は多いように思います。(僕の中もそんな部分がないかないかと探して、また会社に入って生まれはしないかと、怖い)

さて、『仰ぐ』ってあんまり身近じゃないです。本やテレビニュースとか、あと会社に入れば「上司の判断を仰ぎます」って言うのかもしれないけど、学生の時分には。
辞書を引くと、この言葉は『見上げる』、『尊敬する』、『願う』という多義語で、それが僕がこうありたい視点をうまく表せるような気がしたのです。

いろいろな、いやもうすべての人や物事を、姿勢を低くして、時にはぺたりと地面に座ったり、見上げ尊敬して、願いを持つ。そんな風にしたいなあと。そうしたら、見えてくるものがたくさんあるのではないか、と思っています。でも、すべての、なんてのはちょっとうまくないかもしれません。お前は人の多様性をわかっちゃあいない、人を真正面から見ようとするなら、その個性に目を向けるなら、すべての人をひっくるめることを軽々しく口にできるわけはない! なんて言われたら、ちょっとうまく反論は……できそうにないです。まあ、そもそも嫌いな人だってたくさんいるし、なんだこいつと思うこともあるし、そんなだから、願望が多分に入った言葉です、仰ぐ。

『道ばた』は道に近い部分のことです。道は人や車が通るためのもので、道の脇にはビルや家、畑、林、野原なんかがあります。なんか、道ばたは、流れと停滞、人と自然、外と中、そういったものの境界を隠喩として表しているように感じます。近づきすぎず、離れすぎずそんな位置です。寂しい場所だけど、色々なものが眼に入ります。

道ばたに座りながら、行き交う人を見上げて、敬って、時にはおしゃべりをしたり、隣の草花と友達に、まぶしい空に思いをはせる。そんな願いを思って、タイトルを考えてみました。普段の生活、そしてブログをそんな視点から書くものにしよう。

人も物もなにからなにまでを見るに、それを目指すというよりは、そこから始めてみようと。

内定式

大学卒業予定者・大学院修了予定者等の採用選考に関する企業の倫理憲章により、「正式な内定日は10月1日以降とする」と定められていることから、10月1日に内定式が開かれる企業が多く、僕が就職した会社もその例に漏れず内定式が今日であり、僕は久しぶりに六本木にある会社のオフィスに行くことになっていた。

久し振りにスーツに袖を通すと、就活の時の感覚が体を包んだ。家を出るといい天気でスーツでは少し汗ばんだ。この感触も覚えがあった。そうか、今の陽気は就活をしていた春と似ている。

西武池袋線練馬駅まで行き、そこから大江戸線に乗り換え六本木駅で降りた。会社のオフィスに入り、エレベーターで上がり、会場の部屋の前まで来ると、すでにほとんどの内定者が席に着いており、僕も自分の名札に記載されている席に着いた。技術職はビジネスカジュアルでもいいはずだったけど、スーツの人が大半だった。今この広い部屋に規則正しく列になって座る人たちが僕の同期だ。多い、という印象だった。

机の上には僕の名前が大きく印刷された用紙が置いてある。名前は座席位置を示すのと、名前に使う漢字を確認するものだった。両隣の人の名前を見ると席の並び順が五十音順で、さらに一部に女性が固りがあるから、職種別に分かれていることがわかった。

改めて机の上の用紙を見ていると、裏に書かれた文字が透けていて、ひっくり返してみると、「内定誓約書」と書かれていた。用紙の右下には日付、住所、名前、そして印の文字。ここに記名と捺印をすることでこの会社への入社を誓約することになるのか、としげしげと文面を見つめた。五月にもらった内々定は口約束だったから、この誓約書とこれから受け取る内定通知書を合わせて、僕と会社とが就職の正式な約束をしたことになる。春の就活で内々定を得たときは、職にありつけたと安心する気持ちが大きかった。そうしてこの内定。はっきりと目の前に就職という道が形作られたのは、今だと感じた。中学、高校、大学と、想像するだけだった就職というものの生々しい手触りがした。他の多くの物事と同様に、年を重ねるにつれて想像がどんどん現実に置き換えられていく。

用紙をもう一度ひっくり返すと、大きく印刷された僕の名前が改めて目に入った。僕の名前がこの用紙に印刷される過程を考えた。この会社のどこかに僕という存在がある。この会社にはもう僕の存在が組み込まれている、という気がした。きっと印刷された名前を通して僕の一部はこの場所に縫い付けられ、置き忘れた忘れ物があるときのように、僕は常に意識を向けざるを得ないだろう。そう考えたのは、でも、就職することを僕が当然として受け止めていなかったからだと思う。

役員の方の挨拶を聞き、内定通知書を受け取り、グループワークのようなレクリエーションを行い、研修の説明を受けるなどして内定式(グループワークは内定式には含まないみたいけど)は終わった。

式が終わると、mixiで告知されていた内定者懇親会に参加するため、新宿に向かった。新宿歌舞伎町の忍者屋敷というお店が会場となっている。お店は雑居ビルに入っているのだけど、そのビルのエレベータは見たこともないような旧式で怪しげなボタンがいくつも付いていた。

内定者の3分の2ほどが懇親会に来ており、広いフロアでさえ少し手狭だった。

懇親会は最初こそ、異なる職種でのぎこちない異文化交流が行われていたものの、次第に盛り上がる人たち(主に営業、デザイン系)と、話に興じる人たち(主に技術系)に分かれ、幹事の人たちが用意したちょっとしたゲームをやっている頃は感じた一体感も、最後の方には薄れているようだった。

お酒は余るほどに用意されていたけど、料理の出がおそくて、僕はなかなか食べられていなかった。でもエビチリが運ばれて来た頃には、もうみんなは十分に食べたようで、エビチリの周りに人があまり寄ってこなかった。ここぞと僕はエビチリを何度も取り皿に取り、エビチリを何度も口に運び、いい加減エビチリでお腹が膨れたたところで、唐突にエビチリ顔の四人組に囲まれた。
「どこの会社ですか?」
と話しかけられた。からかわれている? とすぐに思った。なぜ内定者の集まりで会社名を聞かれるのか。わけがわからない。でも、にやにやしているこの顔は僕を馬鹿にしている顔に見える。一人で柱にもたれかかっていた僕を標的に定めて近寄ってきたに違いない。僕はみじめになった。なんでまだ話したこともない人に馬鹿にされなくてはいけないのか。僕は見た目でもうこいつは駄目なやつだと決めつけられてしまったのか。入社を待たずして強いやつと弱いやつの序列は中学校の教室のように一瞬にして決まってしまうものなのか。同期にこんな人がいるという悲しさもこみ上げ、それでも何とかへらへらしながら、
「一応、……という会社ですけど」
と返した。変な愛想笑いみたいな顔になっていただろう。そうすると彼らは、おお、やほーだってよやほーなどと大声で言い合いあった。

結局は僕の勘違いで(まあ勘違いを狙っていたのかもしれないけど)、彼らは他社の内定者だった。下の階でも違う会社の内定者達が懇親会を開いており、そこからこちらに乱入してきたわけだ。今日、新宿はどこもかしこもこんな事が繰り広げられている。

幹事の熱のこもった締めの言葉で、全体としては盛り上がった懇親会は幕を閉じた。僕は二次会には(話せる相手がいなそうなので)行かずに、西武新宿駅から西武新宿線に乗ることにした。歌舞伎町の路上ではスカウトたちが夜遅くまで仕事をしていた。

今日一日で様々な人と話をして、思うところもたくさんあるけど、今はただ、就職するにあたり、そして大学を卒業するにあたり、多くのことを受け入れ、多くのことをあきらめなければならないと、そんな思いが、一番強かった。

ヘヴン

# 今週のお題として

大学の隣にある戸山公園では子供のダンスチームが踊っていた。戸山公園野外コンサート、と渡されたチラシに書いてあった。チラシに次に戸山高校ブラスバンド部が演奏するとあり、それを聞こうと研究室に一度戻り、時間に合わせてまた公園に向かった。自動ドアを出ると少し予定が早まったのかすでにブラスバンド部が演奏していた。演奏している高校生達はおそろいの緑のTシャツを着て、強い日差しの下で汗を流していた。聞いている観客は日差しが強いので木の木陰や草地の上で耳を傾けている。僕はコンビニで飲み物を買い、演奏しているところから少し離れた遊歩道の脇に腰掛け観客になった。僕の後方にいるホームレス二人も。木陰で立つ人も。左手にいるカップルも。たぶん走り回っている子供達も。悪意や駆け引きはここにはなく、ただブラスバンドの陽気な音楽が流れていた。腰掛けた位置からは演奏している人も聞いている人も見渡せた。純真と無垢な心だけがここにあり、流れる音と公園と太陽が暖かな空間を作っていた。僕はふと澄んだ気持になり、ああ、今この瞬間この場所はヘヴンなのだと感じだ。ヘヴンは一瞬ここに現れ、なごりおしそうに少しの間だけとどまっている。僕はその端っこにいた。僕が座って眺める人々はみな幸いに包まれていた。地面も遊具も草も木も。すべてが。
演奏が終わった。音が止み、大きな声がマイクから響き渡った時にはいつもの昼下がりの公園だった。主催者の挨拶などが続く中、観客は散り始めた。僕も立ち上がり、研究室へと戻った。コンビニで買ったジュースのパックをゴミ箱に捨て席に座りパソコンに向かった。もう公園で手に顎を乗せながらぼうっとしていた感覚はうすれ記憶だけが残っていた。

自分を守る。無意識に。そして非難する。

以前にあったイラク日本人人質事件で、多くの人が「自己責任」「自業自得」という言葉で被害者達を非難した人質バッシングがあった。といっても僕はその自業自得論についてはマスコミが何やら騒いでいるなぁというくらいの関心しかなく、実際にどんな人たちがどの程度自業自得論を展開していたのかは知らない。ただ最近、人が誰かに対して自己責任とか自業自得だというのはなぜだろうと考えていて、イラクの人質事件のことを思い出した。

人質バッシングに対してを日本人の集団意識がどうとか、社会的な構造がどうとかいうマクロな分析はよくわからない。

しかし個人がイラク人質事件の被害者を自業自得と言うのはなぜ? と考えると、僕にもそう思う部分があると気づいた。なぜ僕が関係のない彼らに対して非難めいたことを思うのか。日本の国際的な立場に悪影響をあたえるから、自衛隊の活動に影響があるから、というわけではないだろう。何か個人的に迷惑を被ったのだろうか。そんなことはない。

ではなぜだろうと考えていると、それは恐怖心ではないかと思った。

人質になってのど元にナイフの冷たさを感じたり、銃を突きつけられる状況はたまったものでない。あの被害者達のようにはなりたくない。僕は恐がりだしお化け屋敷なんて行ったら腰が引けるし、怖そうなお兄さんには絶対に近づきたくない。だから人質になると考えただけで恐ろしくなる。どうすればそんな恐ろしい体験をせずに済むのだろう。理不尽にも暴力に巻き込まれてしまう? そんなの嫌だ、なにも悪いことをしていないのに被害をこうむるのなんて嫌だ。無難に生きていれば暴力に巻き込まれずに済むはずだ。人質になった人たちは悪いことをしたから暴力に巻き込まれたに違いない。それは、なんだ。彼らが被害者になった原因はなんだ。彼らの目的である人道支援は悪いことじゃない。立派ではないか。しかし目的は立派だったにしろ彼らは国の退去命令を無視してイラクに入国した。これはルールを破っている。国が国民の安全を考えて出した命令に逆らいイラクに入国した。つまり彼らは悪いことをしたんじゃないか、だったら暴力に巻き込まれても当然だ。そうして僕は悪いことをしていないのだから安心できるはずだ。無難な僕は安心で、彼らは出しゃばったから被害を受けた。自分から退避命令を無視という、悪いことをしのだから彼らは被害を受けても自業自得。自己責任。

というほとんど無意識の思考の元、僕には彼らを自業自得とする思いが生まれた気がする。結局のところ自らの保身のために彼らを非難している。つまり、彼らが被害を受けたのは彼らが悪いことをしたからであり自分はしていないから安全だ。

その他にも、たとえば派遣切りによって生活が苦しくなった人や、ホームレスの人たちに対して同じような思考過程での非難が起きると感じる。彼らが、うまくない状況になったのは、彼らが悪いからだ、というように。

自分を守ることは当然だ。しかしそれを自覚なしに思考に組み込んで、結果として出てくる発言や行動がおかしくなるのはそれはそれで怖い。とはいえ生物にとって恐怖心はかなり根深いところにあって(脊髄反射が良い例だが)思考よりもっと奥の部分で働くものだろう。

小学校のころ先生に「言う前によく考えよう」ということを言われたことがある。どんな文脈だったかはよく覚えていないが、たぶん人を傷つけるようなことは言わないようというのが先生の意図だったと思う。それを聞いて実践しようとすると、いつも話す前にタイムラグを挟めと言うのか、そんなの無理じゃん、と気づきすぐに諦めたと思う。
でも発言を後で見直すことはできる。だから「言ったことはよく考えよう」は可能だ。

人を非難したくなることはよくあるし、実際にそれが妥当なこともある。しかし、特に自業自得と非難をする場合には、無意識の恐怖心が要因になっていることがあるかもしれない。

こねこ電車

電車に乗ると子猫が三匹、端っこの座席で身を寄せ合っていた。横にはキャリーバックがあって中にさらに二匹。その隣には持ち主らしきおじさんがキャリーバッグに手を掛けて座っている。
電車に猫? いやそれはいいけど、なんでキャリーバッグからだすんだ? そこは人が座るところだぞ。猫が丸くなるところじゃない。毛が席に付いてしまうではないか。ケツの穴を席でこすっていたらどうする。人が座るよりも猫の解放感の方が優先されるというのだろうか。
おじさんは足を組んでヨーロッパのサッカーチームのTシャツをきて悠然と座っている。なんともふてぶてしい。しかしそんなおじさんには関係がなく、子猫たちはなんともかわいいくてずっと見ていたくなる。子猫特有のふわふわのきれないな毛。互いのお腹や足をなめ合いながらけだるげに仲良く寝そべっている。カレンダーの写真みたいな光景だ。子猫の魔力は恐ろしい。しかも三匹。写真を撮ってもいいですか? さわってもいいですか? と聞いてみたくなるもののそんなことはしない。そもそも僕はそんなこと恥ずかしくて言えないし、おじさんの行為に荷担するわけにも行かない。猫はキャリーバッグに入れておかなくちゃだめだ。しかしそう当たり前のことを思ったものの、座席で乗客の目を楽しませるのもまあ悪くはないのではないかとも思った。かわいければ猫にだって席に座って見るのも一興かもしれない。
右から寄ってきた女性が、猫を近くで見ようと首を伸ばした。きっと顔がやわらかくなる、と思ったらすぐに首を引っ込めて少し離れた。その理由は、わかる。臭いのだ。臭う。友達の家にあったあまり汚い水槽の匂いだ。それが猫たちから発生している。うんことか尿とかの匂いが混じっているのだろう。動物が好きな人ならなれているのかもしれないが少なくとも僕はあまり嗅ぎたい匂いじゃない。
そうしてくさいくさいと思っていると猫があまりかわいく見えなくなり、おじさんがだんだん憎らしくなってきた。そもそもこんなに立っている人がいる中で堂々と一人分の席を猫で占有する精神が気にくわない。いやキャリーバッグも横に置いてるから合計三席を占有している。なんと。それくらい足下に置こうよ。きっと切実に座りたい人がいるよ。猫が嫌いな人がいるよ。というかかけらでも人を気にしたらそれくらいきがつくでしょう、そんなに猫をかわいがっているのか見せびらかしたいのか。そう思って少し離れて立つ周りの人を見ると、僕と同じようなことを考えている気がしてきた。みんな思っている。猫はかわいい。しかし臭い。そうしてなんで人様の席に猫が座るんだ!

子猫らを乗せた電車は高田馬場駅に到着し、開いたドアから僕はホームへと降りた。

楽しめたからおじさんには感謝してる。ちょっとだけ。

夏→秋

あの時に拾った木の実はどうしたっけ。

そろそろ秋かな、いやまだかな。九月の初めに、夏から秋に変わる瞬間を、自分なりに見つけてみようとした。立秋? いあ、暦じゃなくて自分の感覚として。
季節には敏感じゃないから、秋の兆候といっても多くは気がつけない。それでも観察していると、鈴虫の出す音が夜に聞こえてきて、木が様子が寂しげになり、一枚着る服が増えて、夜が寒くなってきた。それでも、蝉は鳴いているし、昼は暑いし、まだ夏だよなー。だんだんと夏が消えていって、秋に変わっていくものだなあ、季節が切り替わる瞬間なんてないよな、と感じていた。

そんなとき、たぶん九月十日かその少し後くらいだろうか、大学に行く途中にある戸山公園の入り口を過ぎたところで、ふと地面を見るとドングリのような形の木の実が落ちていた。周りには落ち葉が散らばっていた。
木の実を拾い、眺めていると、昔の思い出が一瞬胸をかすめた気がした。こんな光景と行動が記憶のどこかに触れたようだ。郷愁のようでもあった。

そうして木の実をポケットにしまい、顔を上げると、もう公園はすっかり秋になっていた。